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今、何故徒弟制度か  
徒弟制度における人間性と創造性〜 
獨協経済第61号 1995年3月 紀要原文に 若干の校正をほどこし、読みやすくしました  





   

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●フィレンツェにおける批判精神

しかしながら、徒弟制度がうまく作動し、その中で創造的な活動が行われるということは、ひとり徒弟制度の中にいる者だけのことではうまくいかない。それはなぜかといいますと、例えばフィレンツェにおいて爆発的な創造性が発揮されました。このフィレンツェの都市、フィレンツェの共和制、この中には批判精神が満ち満ちておりました。
すぐれたものはすぐれたものとして称賛する。劣ったものはこっぴどくけなされる。こういうことがありませんと徒弟制度はうまく作動しない。すぐれた創作活動は行われないわけです。しかも、その批判精神のレベルが高いことが、すぐれた徒弟制度を生み出していくことになるわけです。
この批判精神がなぜ生まれたのかというと、フィレンツェの共和制は一種の同業組合国家ではないかと考えられます。
七つの大きな組合―大きな組合というのは銀行とか富裕な業者を指すんですが―それと14の小さな組合、この小さな組合というのは小規模という意味じゃなくて、パン屋さんとか仕立て屋さんとかそういう一般的な同業組合(ささやかな人民といわれている14の組合)、合計21の同業組合によってこれが行われておりました。必ずしも民主的な状態であったとは言えません。
14世紀の中ごろ、フィレンツェの総人口は9万人でしたが、そのうち参政権を持っていたのはわずかに3000人、3%ということですから消費税ぐらいの率ということになります。民主的でないのですが、国家権力のほかに同業組合が独立して存在した。そういうところから批判精神が生まれ育っていったのではないかと思います。
この批判精神がたんに相手の足を引っ張り合うというだけではなくて、よいものを求めていく、好奇心に満ちた批判精神である。それをよくあらわす一つの例といたしまして、1439年フィレンツェの共和制における事実上の独裁者でありましたコジモ・デ・メディチという、芸術の保護者として有名な人ですが、この人が東西両教会の合同のための公会議を主催いたします。
フィレンツェで開くわけですが、要するにローマ法王庁とコンスタンチンノープルに本拠があるギリシア聖教、この皇帝が大量に学者を引き連れてやってきて、ここでキリスト教会合同のための会議が開かれました。
この合同会議なるものは何だかわからないうちに、失敗したのか成功したのかわからないうちにうやむやになるんですが、この連れてきた学者同士がアリストテレス派とプラトン派に分かれて大論争を行いました。アリストテレスもプラトンもフィレンツェの人たちにはよくわからない。わからないんですが、その論争を聞きながら知らないうちに議論に巻き込まれて、アリストテレス派とプラトン派に分かれて激論を始める。よくわからないのにどうして激論が始まるのか、むしろ不思議なくらいですが、そのぐらいの好奇心を持って新しいものを吸収しようとした意欲を感じます。
徒弟制度において、いかなる注文にもこたえるような要求のためには好奇心が不可欠ですが、恐らくそのようなことから好奇心が発達したんじゃないかと想像するわけです。
ルネッサンスが一般的にはギリシア・ローマの文化を復興する、再生するという形で伝えられておりますが、必ずしもフィレンツェにおける事情が唯一の現象ではない。
例えばルネッサンスの二大強国といわれているヴェネツィア共和国においては、特にギリシア・ローマはやかましく言わない。むしろ隣接しておりましたイスラム圏、当時イスラムは最もすぐれた先進的文化地帯でありましたが、この文化に触れて、それを取り入れながら独自の文化を生んでいった、ヴェネツィアという例もあるわけです。これも一つの大きな好奇心の所産であろうと考えられます。
これを要約して「ルネッサンスでは中世以来の徒弟制度が市民生活のレベルアップ、経済的、知的、美的、感覚的なレベル、を背景に創造的な文化を生んだ」これが江戸文化と共通する部分と思います。

                                  



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