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         松本彫刻          

今、何故徒弟制度か  
徒弟制度における人間性と創造性〜 
獨協経済第61号 1995年3月 紀要原文に 若干の校正をほどこし、読みやすくしました  





   

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● 職人の自由・移動の原因
このように若い徒弟が職人という段階に入りますと、ここのアトリエ・工房から親方・おかみさんと別れて他の職場、他の工房に移るというのが一般的でした。
もちろん例外というものがありまして、「たまたま男の子がいないからうちの娘と結婚して後をやってくれないか」とか、「今、仕事が忙しいから、一般の手間賃の倍払うから、もうちょっと助けてくれないか」とか、そういう親方の要請がある場合もあります。
しかし、拒否権がありますからいやなものはいや、一人前として、ここに職人は完全な自由意思を確立した存在として扱われるわけです。ただ一般的には、その職場から離れて他の親方のところで再度修業を積むのが徒弟制度の原則です。
具体的には、地方の親方のところで5年の年季が明けた職人さんは都会に移る。都会で年季を終えた人は大都会に移る。大都会で修業した人は、他の親方のところに移ったり、あるいは地方でお父さんの後を継ぐ、というように移動いたします。この移動がどうして行われるのか、これは重要な部分です。

移動の原因は三つあります。一つは、徒弟から職人になったばかりの若い人の状況ですが、非常に若い年代であるために、今までの5年間で実はあきあきしていたということが多いわけです。そこで習ったことが社会で本当に通用するかどうか試してみたいという意欲がある。また、そこの親方のところではマスターできなかった違う技術、新しい技術を他の親方に求める、そういう理由から移動する。
二番目の理由は、親方の方の原因です。
5年の年季の初めのころ、これは月謝をいただかずに教えることになるわけですから、持ち出しと申して赤字になります。幾ら教えても一回や二回ではなかなか覚えてくれない、失敗ばかり繰り返す、ということで初めは経営的に赤字になる。これが1年たち2年たちますと役に立つようになります。そして、自分が食べるもの、またわずかなお小遣い、そのくらいは稼ぎ出すようになって収支がとんとんになる。それから3年たち4年たち5年の年季に近づくに従って、この若者は一人前の職人の風格と実力を帯びてきます。
しかも無給でありますから、ここで投資した部分を取り戻して、なおおつりがくる。利息が付いて返ってくるという状況になります。このおつりの部分、これをしかるべく積み立てるなり対策を立てればいいんですが、大概は消費されてなくなってしまっているというのが実情です。
親方のうちの生活のレベルアップという形で消費し、なくなってしまっている。きのうまでただでやってくれてちょうどよかった。それがきょうから手間賃を払わなければならない。払えればいいんですが、払えないことが多かった。そのために親方の側から「しっかりやってくれ」と、そこでお別れするケースが多かったということです。
第3番目の理由、これが徒弟制度における非常に重要な部分です。
徒弟制度は基本的に受注生産によって成り立つ、そういう本質を持っております。現在の製造業のあり方というのは、自分の事業所の最も得意とする部分を大量に生産してコストダウンを図る。そして競争力に勝っていくというのが製造業のあり方ですが、徒弟制度はあくまで注文が来てから生産がスタートする、ということは売れ残りがない。代金回収率が100%に近い。私自身が35年間仕事をやっておりまして、仕事をしたのに倒されたという形跡はほとんど考えられません。
つまり100%近い回収率、材料がむだになりませんし、つくったものは確実にお金になるというのが徒弟制度の一つの形です。
受注生産であることから、注文がなければ職人を置いておくことができないことになるわけです。注文のある所に職人が移っていきます。
私共の初代の親方は堂宮彫刻を得意としておりました。堂宮彫刻というのは、社寺建築における本尊以外の木彫です。欄間(らんま)、虹(こう)梁(りょう)、蛙(かえる)股(また)、懸魚(げぎょ)、そういう社寺に付属する彫刻ですが、お寺の建立には5年から10年かかりました。
そこで仕事をして、そのお寺ができ上がるとまた次の新しいお寺に移って仕事をする、こういう職人さんたちが随分おりました。こういう職人さんのことを渡り職人と呼んでおります。


                                  



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