有限会社 松本彫刻
高級木彫刻のオーダーメイド 有限会社 松本彫刻
松本彫刻
今、何故徒弟制度か
〜徒弟制度における人間性と創造性〜
獨協経済第61号 1995年3月 紀要原文に 若干の校正をほどこし、読みやすくしました
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● イタリア・ルネッサンスの芸術家‐渡り職人の文化
この渡り職人がどのような姿であったのか。ここでどなたでもご存知の有名な方を引用させていただきますが、レオナルド・ダ・ヴィンチ、この人はヴィンチ村で生まれたレオナルド、したがって、苗字と名前ではありません。ヴィンチ村からフィレンツェのヴェロッキオという当時フィレンツェでも有数の親方のところに弟子入りをしました。お父さんは公証人ですが、子供のころから非常に絵が上手だったので、ヴェロッキオの工房に入門させたことになります。ヴェロッキオは彫刻・絵画において人類にいい仕事を残してくれた人です。 詳しいことはわかっておりませんが、レオナルドはここで、13年ぐらいの年限を過ごしたのではないかと推定されます。 フィレンツェにおける絵師、絵描き(画家)、この絵師という職人さんの徒弟の年限が13年であったからです。 初めの1年はデッサンを主にやらされる、次の6年間、これは絵の具の溶き方、にかわ(膠)という接着剤の溶き方、下塗りの仕方を教わりながら一人前の絵師、職人さんの絵の具をつくって手伝いをしていたということです。 なぜここに6年も必要だったのか。レオナルド・ダ・ヴィンチは後に油絵を開発しようとみずから試みて失敗しておりますが、素材から入っていくということがなければ、油絵を発明して新しい画法によって描こうなどとは考えなかったろうと思います。 素材から入るという部分が重要だということ。特に、にかわは非常に微妙な接着剤です。 現在でも金粉と申して、本当の金の粉を溶かすときにどうしてもにかわでなければならず、私もいろいろやってみましたが、うまくいかない。くやしいんですが、にかわでなければだめです。 また、今でもバイオリンはにかわで接着します。私の父の世代にはにかわ師という特殊な言葉があったぐらい、これは難しいんですが、バイオリンは修理とか調整をしなければならない。そのために油でバイオリンを洗いますと、にかわがはがれてくるわけです。 そして修理が終わって再びにかわで接着すると、これがぴたっとついて絶対に離れない。はがれると同時に離れない、そのような2つの矛盾する要素を生み出す。そういう調合に化学的なデータを超えた勘が必要になってきます。 そういう素材でみっちり6年間修業して、最後の6年間でいよいよフレスコ技法、錦織り模様、連続模様ですが、要するに左右対称の正確な模様、自分の思ったとおりに手が動く訓練ということになります。 以上、13年という絵師の年限を過ごしてミラノに移ります。有名なイル・モーロという君主の下で仕事をして、短い期間ですがマントヴァ、ヴェネツィア、ロマーニャで仕事をします。フィレンツェに戻って再び仕事をする。第二次フィレンツェ時代といわれていますが、その後ピオンピーノという都市に移りまして、ミラノ、フィレンツェ、2つの都市を往復しながら仕事を進める。そしてローマに移って有名な君主、チェーザレ・ボルジアの軍事顧問のような仕事をしながらローマで過ごします。晩年はフランソワ一世に招かれてフランスで過ごしております。 このような生き方、仕事を求めて、また自分の才能を生かしてくれるところに移動して仕事を進める、典型的な渡り職人の姿をここに見るわけですが、ここでレオナルドは二人程度の徒弟をお供に連れて旅をしたと伝えられています。 したがいまして、レオナルド・ダ・ヴィンチは職人であると同意に親方であるということも言えます。ミラノに工房・アトリエを構えていた記録がありますから、レオナルド・ダ・ヴィンチを一言でいえば渡り職人の性格の極めて強い親方であったと言えると思います。レオナルド・ダ・ヴィンチは人類の生んだ天才中の天才であり、芸術家の中でももっとも芸術的な人でありますが、これを徒弟制度の面から性格づけると今のようになるということです。 同じ時代に、ちょっと若い人ですがミケランジェロ、この人も天才中の天才ですが、この方は徒弟制度の面から言いますと、典型的な職人(ひとり親方)としての生涯を終えた人であると言うことができます。 とにかく徒弟とか職人とかを指揮監督して、それを人に任せることのできなかった人、最初から最後まで自分でやらないと気が済まない。いわゆる職人かたぎというか芸術家タイプ、そういう人でした。 有名なシスティーナ礼拝堂の天井画を請け負ったときには、非常に高い足場の上に乗りまして、非常に広大な画面に大量の絵の具を使います。 そのために、フィレンツェから5人の助手を、絵の具をつくらせ、これを運ばせるために雇ったんですが、気に入らない、怠け者であると首にして追い返してしまいます。ということは、自分で大量の絵の具をつくり、あの高い足場まで絵の具を持ち上げて、絵筆を持って仕事をした。それだけでなく巨大な大理石を石切り現場まで出かけていき、石工に指図して素材から求めるという風に徹底した人です。つまりこの人は最後まで職人(ひとり親方)として通した人だと言えるかと思います。
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