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今、何故徒弟制度か  
徒弟制度における人間性と創造性〜 
獨協経済第61号 1995年3月 紀要原文に 若干の校正をほどこし、読みやすくしました  





   

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●「個人」から「親方」へは、個人的資質により自由
                   
それに対して、やはり同時代の人でこれまた若い人ですが、ラファエロという天才がおります。この人も天才中の天才で、腕のいい職人の見本のような非常にすぐれた人でありますが、あくまでもレオナルドとかミケランジェロとの比較においては、職人としての能力はやや落ちる。37歳の若さで没したということもあり、やや落ちるといっても、しかられない、だろうと思います。しかし、この方が親方としてどうかというと、非常にすぐれた親方であった。レオナルドやミケランジェロと比べれば、親方としての特性が強かったと言えます。
もともとラファエロは、ウルビーノという都市の宮廷画家の息子として生まれ育っております。お父さんに連れられて宮廷の雰囲気というものをよく知っている。そして礼儀正しく、物腰が穏やかで柔らかかった。だれからも好かれたと言われております。
当時ユリウス二世というローマ法王がおりました。 ミケランジェロにシスティーナ礼拝堂の天井画を描かせた法王として有名ですが、非常に個性の強い、頑固な人でした。
このユリウス二世から注文をもらう。またユリウス二世が死んだ後、レオ十世と申しましてメディチ家出身の法王として有名ですが、この人からも大量な注文を受け取っております。レオ十世とユリウス二世は性格がほとんど正反対と言っていいくらい違う。その二人の法王にかわいがられて注文をとるというように注文を受けることができるという親方の必須条件を備えていたと言えます。
ヴァザーリの「芸術家列伝」にバチカン・ローマ法王庁に出かけるときに、少なくとも50人の絵師たちの部下をお供に引き連れていったと書かれておりますが、多少の誇張があるにしても、かなり大きなアトリエを構えて、ここで制作をしていた。徒弟・職人を指揮監督して仕事を上げていった親方であります。私生活の面でも宮廷人さながらの豪華な生活を送っております。
バチカンの仕事をすれば名声が高まります。バチカンの仕事をやらせていただくような人の絵とか作品を持ちたい、そういうものを持っているのが、ステータス・シンボルであるということから、イタリアの諸都市、ヨーロッパ全土からラファエロに注文が殺到する。これを捌いていく、指揮監督しながらアトリエを経営していくという意味で、ラファエロは非常に立派な親方であったということが言えるかと思います。
このように職人から親方にはどういうふうな形でなるのかということは、個人的資質と経済原理によって自由であった。決して職人と親方の間に身分の差があるわけではありません。
私が本格的に親方仕事を始めたのは37歳の時でした。父が早く亡くなったためにそうなったわけですが、当然私どもの職場には一番職人、二番職人、私よりも腕のいい、私が入門したときに手をとり足をとって教えてくださった師匠格の職人さんがおりました。
その人たちと私とどちらが給料が高いかといえば、もちろん一番職人さんのほうが高かったわけです。今もうかうかすると職人さんのほうが手間賃が高いということもあり得ます。これは余り詳しくは申し上げられませんが、そういうことで職人と親方は身分の差ではありません。
これは建具業界ですが、その親方の人望を慕って工房に弟子入りするというよりも、その作業場にはすぐれた腕のいい職人さんがいる。そこへ行って仕事をしながら覚えようということが今でもあります。
つまり、親方と職人は社会的地位とか名声とかその出来ばえと関係なく、その個人の選択によってなされる。具体的には受注生産であるがゆえに注文を受けることのできる人、それをこなすことのできる人が親方になると思います。

                                  



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