高級木彫刻のオーダーメイド





 新世紀のめざす調和−18    

オコゼの威厳と風格    松本孝夫 業界月刊誌 ・「建具工芸」
 2002年   9月号 掲載文 



 
煮干のおいしさ

 お蔭様で60年間人間をやらせて頂いているうちには「忘れられない瞬間」がいくつかあります。
終戦直後、食べ物が不自由だった5歳の頃、疎開先の部屋の真ん中に新聞紙がひかれ、その上に配給の煮干が山とつまれた光景、「食べたいだけ食べてよい」と言う滅多にない嬉しさ、美味しかったその味、今でも鮮明に思い出すことが出来ます。
 二歳年下の弟が、粉ミルクの小さな缶で一命を取りとめ、父の栄養失調からくる危篤状態を脱した直後のことでした。
 私は肉より魚のほうが好きですが、もしかしたらあのときの「煮干の美味しさ」が、そうさせているのかもしれません。
 魚が好きなぐらいですから、子供のころから魚の味には敏感で、「この魚、腐っている!生臭い、これは魚熊さんの魚じゃない!」と、母を困らせました。「孝夫はどうして解るんだろう?忙しいのでつい近所の魚屋で買うとすぐに駄々をこねる」
 泣きわめくぐらいの抵抗だったのでしょう。近所の魚屋は寝坊をして、売れ残った古い魚を安く仕入れてくる、少しだけ安いのですがつんと鼻をつく臭いがするので食べられません。そんな訳で、大通りを越えた「魚熊さん」という、今もって「刺身の美味しさで売っている」早起きで仕入れの目の効く魚屋さんのお陰で、50年以上幸せな食生活を送らせて頂いております。半世紀もすればお互いに代が変わり、魚熊さんの店主は私と同い年、還暦もほとんど同時に迎えました。


 
神秘の魚・オコゼ

「いつかマッチャンにオコゼの彫刻を頼みたいと思っていた。還暦を記念して作って欲しい」と彼が言います。
 オコゼにも忘れられない思い出があります。中学二年生の夏休み、母の親戚が瀬戸内海の小豆島にあり、この島を舞台にした「二十四の瞳」という映画が出来た直後のことでした。
一ヶ月近くそこで弟と過ごしましたが、海があるだけで他には何もありません。しかしその海の素晴らしさといったら、まず、飽きるということが無く毎日泳いで暮らしました。
 土地の人が「ギザメ」と呼ぶ、、青くスマートな体に赤いラインが入るスピード感溢れる、ベラに似た美しい15センチ位の魚が、透明の海の中でツイー、ツイーと泳いでいて、これが食べられます。

 
水中眼鏡をつけて泳ぎながら眺める海の美しさ、それは正に浦島太郎の世界です。
釣り糸を右手の中指に縛り付け、餌をつけて海に飛び込みます。立ち泳ぎをしながらもぐり、大きめのギザメの前にえさを持っていくと人間を恐れるということを知らない魚は、たちまちパクッと食いつきます。
そのときの私にとって「つり」とは、無数に泳ぐ魚と同じ海中で遊ぶこと、無言の海の中で自分も魚になったような孤独に浸ることでした。「オコゼは毒があるから触ったらイケンデ」と言われていましたから、海底のオコゼを見たときはドキッとしました。よほど慌てたのでしょう。右足がつってしまい、ますます怖くなりました。しかしオコゼはじっと動きません。やや落ち着いて左足だけで立ち泳ぎをしながら両手で右足を揉み解し、オコゼの美しさに見とれました。実にユニークな形をしています。かなりの時間、オコゼは停止したまま、ほんの微かにエラを動かすだけでした。怖いのと美しいのがゴチャゴチャになり、その日は興奮して引き上げましたが、オコゼのことはずっと気になり、毎日その岩場の周りを覗き込みましたが、再びオコゼを見ることは無かったのです。
 それ以来、私にとってオコゼは不思議な威厳をたたえた「特別の魚」となりました。
魚熊さんは「オコゼは面白い形をしている」と言います。全く同感です。彼によれば、オコゼはすんだ海底の岩場にすみ、余り泳ぎ回らない、群れを作らず漁獲量が少ないために高価、骨が多くて肉が少ないため益々高くなるそうです。外形のごつい風貌に関らず身は真っ白で「サヨリは姿、形は美しいが腹黒い」のとは対照的、と言うことです。

 世界一の魚市場

 
一尺位のオコゼの丸彫りを作るということになると実物をシッカリ見ないと彫る自信がありませんが、彼が築地の魚河岸に連れていってくれる、と言うので、朝6時に出かけました。
 はじめてみる魚市場、その広大なスケールと無駄の無い空間に圧倒されます。彼にとっては40年以上毎日通っている仕入れの場ですから、様々な店に立ち寄りながら無駄なく歩き続けます。数メートル歩くたびに「蔵前さんこれどう?安いよ」と声がかかり、その都度、必要最小限度の会話で商談がまとまり、発注伝票を書くために、スット店の奥に入ります。
 彼の後を付いて歩いている間は良いのですが、彼の動きが止まったときには私には居場所がありません。どこに立っていても邪魔になりそうで、その都度緊張します。大きなマグロを何本も乗せた手押し車で運んできた若い衆に「右に曲がるよ!」と言われ、手押し車がスレスレで通る通路から「スミマセン!」と飛びのきますが、飛びのいたその場所が、また邪魔になりそうです。
 小一時間ほど歩き回りましたが、魚市場の全貌はそれでも把握できないほど巨大です。
全員がひんやりした朝の張り詰めた空気の中できびきびと動き、新鮮な魚、その膨大な量が都内一千万人の胃袋に一日で収まる、その力強さにドキドキします。
 「やっぱりここは世界一の魚市場なんだな」と思います。世界中の海から魚が集まりその取扱量、売上高が世界一であるからだけでなく、これだけ多くの店が密集していながら生臭い魚の臭いがしないからです。新鮮な魚介類のさわやかな香りで満たされ、腐った臭いがしません。ここで働く人々が清潔さを大切に考え、清掃を徹底している、これは奇跡です。

 一尺のオコゼ

 一尺八寸はあろうかと思われる大きな真鯛を水槽からつかみ出し、ビシビシ跳ねる魚を俎に乗せ、出刃包丁でエラに一突き、ビビッと暴れる鯛を押さえながら店の主人がやや顔を横に向け、「蔵前さん入ったよ。1万2千円」と声をかけました。
 「エエーッ!1万円じゃなかったの?」と魚熊さん、「だめだよ。儲けていない」
私は素人ですから「ああ、これは1万2千円、仕方が無いだろうな」と素直に納得するような立派なオコゼ、第一こんな大きなオコゼが存在すること自体が驚きです。

 清き海底の主

 全長一尺、誠に持って堂々たる風格をたたえています。魚熊さんが水槽から頭部を持ってつかみ出したところを私は夢中でシャッターを切り、たちまちフィルム二本分を撮り切りましたが、写真だけではどうにもなりません。
 「ぜひスケッチしたい、良い?」、「良いよ」、「三時まで借りられる?」、「うん、他の魚とトラックで運ばせる。朝飯にしよう」と彼は良い、魚川岸に隣接した寿司屋さんでご馳走になりました。
 その寿司の美味しいこと、客は魚屋さんばかりですから当然と言えば当然ですが、彼の活力は、毎朝こういう朝御飯を食べている所から生まれるんだ、と納得しました。
 九時にはオコゼがつき、金魚蜂に移し変え三時まで、寸法を測りながらスケッチしました。
 顔を描いていると、指のように大きく発達した前ビレの先を上手に使い、後ろを向いてしまいます。怖い顔をしている割には臆病な魚なんだ、と可愛くなります。より大きな魚から身を守るために泳いで逃げずに、脅かしているのでしょう。
 魚熊さん、三時から刺身にしたら、十八切れしか取れなかったそうです。九切れずつ二人のお客さんに6千円ずつで「売っちゃったと言うのですから、売った方も買った方も大した物です。「残りは唐揚げにして食べちゃった」、この分が「儲け」です。
 実物大のオコゼの彫刻は四十日後に完成、その台の裏には次のように記しました。

 澄水を味わいつつ 海流に流されず 
 真っ白き身を保ちて 個を失わぬオコゼ



  

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