昭和17年 |
1月 |
1942年 |
0歳 |
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父・重明・(家業・松本彫刻・三代目木彫師)、母・道江の長男として東京都台東区に生れる。 |
35年 |
3月 |
1960年 |
18歳 |
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東京都立工芸高等学校・木材工芸科卒業(高校在学中、三年間の担任は牛込源晃先生、卒業後も文化史全般の御教導を仰ぐ)。直ちに家業・松本彫刻に入門、父・重明に師事。 |
43年 |
4月 |
1968年 |
26歳 |
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家業・松本彫刻を法人化、有限会社松本彫刻を設立、専務取締役に就任。後、昭和54年8月、代表取締役・松本重明死去にともない、第二代・代表取締役に就任(37歳)。寺院欄間を中心とする社寺・堂宮彫刻、公共建築の木彫壁面パネル等の装飾、住宅の欄間・組付彫刻・透し彫刻・ドア等の木彫、仏壇・神棚の木彫、高級和・洋家具の装飾木彫、自動車・電気製品・時計・玩具・石鹸・洗剤容器・菓子・木製小物のファッションマーク等の各種・企画商品のデザイン・製作を通じて、又木製品の鑑定、文化財の補修も加え、伝統工芸・木彫の技術とセンスを現代に生かし、発展させるべく営業中、現在に至る(資本金3600万円)。 |
44年 |
11月 |
1969年 |
27歳 |
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渡欧、ヨーロッパ彫刻技術の特色とその精神を感得せんと努めた。 |
46年 |
12月 |
1971年 |
29歳 |
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帰国後、業界月刊誌『建具工芸』に『ヨーロッパと日本』初稿掲載。後、昭和57年12月号に最終稿掲載。 |
55年 |
8月 |
1980年 |
38歳 |
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父・重明の遺稿『シルクロード難行記』を一周忌に発刊。その際、『建具工芸』昭和54年9月号〜11月号、掲載稿『シルクロード難業記・こぼれ話』(父・重明の紀行文が未完に終ったための締めくくりの文章)を付録掲載。 |
58年 |
1月 |
1983年 |
41歳 |
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『建具工芸』に『この不況・どう乗り切るか』初稿掲載。後、昭和61年4月号に最終稿掲載。
牛込源晃先生の御紹介により小室榮一先生が主幹なさっておられる文化史学会の入会を認められる。以後、小室榮一先生より文化史全般の御教導を仰ぐ。 |
〃 |
12月 |
〃 |
〃 |
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牛込源晃先生の御紹介により小室榮一先生が主幹なさっておられる文化史学会の入会を認められる。以後、小室榮一先生より文化史全般の御教導を仰ぐ。 |
59年 |
11月 |
1984年 |
42歳 |
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第16回文化史学会において、小室榮一先生の『善と美』に関する御講義を拝聴し、強い感銘を受ける。以後、第17回(昭和60年1月)より、第28回(昭和62年3月)文化史学会に出席、その間の史読会において意見を述べる。 |
61年 |
5月 |
1986年 |
44歳 |
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『建具工芸』に『激動する社会を生きるために』初稿掲載。後、平成3年3月号に最終稿掲載。 |
〃 |
6月 |
〃 |
〃 |
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第25回・文化史学会・史読会において、『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記 上巻』(岩波文庫)を主として、これに関して講演。 |
〃 |
7月 |
〃 |
〃 |
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第26回・文化史学会・史読会において、『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記 下巻』(岩波文庫)を主として、これに関して講演。 |
62年 |
2月 |
1987年 |
45歳 |
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東京銘木青年会の招きにより、『社会の多様化と木彫』と題して講演。 |
平成 4年 |
4月 |
1992年 |
50歳 |
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いばらき建具研究会の招きにより第3回研究会に『新しい建具と彫刻の調和』と題し講演。 |
〃 |
〃 |
〃 |
〃 |
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『建具工芸』に『調和−21世紀にむけて−』初稿掲載。後、平成12年12月号に最終稿掲載。 |
6年 |
4月 |
1994年 |
52歳 |
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獨協大学経済学部の招きにより『今、なぜ徒弟制度か』と題して講演。後、『獨協経済紀要・61号・1995年3月』に掲載される。 |
9年 |
9月 |
1997年 |
55歳 |
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移動個展『チベットの天女達』(伝統工芸の受注生産の特色を生かし、特定の美術展に出品したり、個展を開催するかわりに、最新の作品をコンパクトにまとめて観て頂く、独自の個展形態)完成。 |
10年 |
11月 |
1998年 |
56歳 |
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蔵前神社氏子総代を拝命。蔵前神社本社神輿の文化財としての価値に注目、この修復活動の中心的役割を果たす。翌年、6月の例大祭における、この宮出しを期して、記念小冊子『41年ぶりの宮出し・蔵前神社本社神輿』を編集・執筆し発刊。 |
13年 |
1月 |
2001年 |
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『建具工芸』に『新世紀のめざす調和』初稿掲載。現在、毎月掲載中。
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号・松本孝峰 |
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