高級木彫刻のオーダーメイド




  

 多極世界の狭間で  6
 寝る時間が惜しい仕事  松本孝夫   業界誌「建具工芸」   
  平成十年三月号掲載文  


 太陽光線が一番

 
「♪ボロは着てても心は錦…他人にできないことをやれ」、木彫刻の仕事に入って50年以上が立ちました。
 「好きで入った仕事」と自分にに言い聞かせている手前、時には、「労多くして益の少ない仕事」と感じても口に出す資格はありません。「益」は金銭的なこと、人生全般の充実感はまた別、とこれ又自分に言い聞かせて来ましたし、「その通り」と感じることは確かに、かなりあります。

 むしろ齢と供に、「あぁ、もう寝ないと明日が無駄になる、悔しいけど寝よう」と言うように夢中になる仕事は増えてきました。写真の六尺仏壇の中に立つ上り竜・下り竜が絡む丸柱の仕事もそのうちの一つで、とにかく仕事を打ち切るのが辛い仕事でした。
 一般に木彫りは深彫りほど「早寝早起き」で自然光の方が視神経に対する負担が少なく、能率的ですから、夜は図面を描いたり構想を練るような、考える時間に使った方が得です。

 世界最大の最高の時計の産地、スイス・ラショードフォンは文字通り時計造りの都市(人口三万七千人)で、背の高い窓が並び、自然の柔らかい、しかし豊富な太陽光線の元、窓際で精密な仕事をする名工たちが腕を競っています。
 大半は小規模の工房ですが、二百年以上の歴史を持つ大工場もあります。大工場と言っても大量生産をしているのではなく、一人の時計師が一年間に10個の時計しか作りません。時計一個が一千万を超えると言うのですから、やはり「世界一」のためには早寝早起きが一番でしょう。彼らの中には寝るのが惜しい人は大勢いるはずです。


 中国の人権費との戦い

 中国の大工房も百人規模、若い女性が並んで作業をしていて、人件費は日本の百分の一、「中国人も結構やるけど仕事がどうも…やっぱり中国製じゃ納まらない」
 久しぶりに千葉県の横山木工所の社長さんがご来店になりました。

 中国の若い女の子には負けたくありませんが、丸柱に竜が巻きつくこの仕事は中国人が最も得意とする分野です。労働集約的で馬鹿みたいに手間がかかり、出来てみれば「当たり前」に見えます。中国何千年単位の伝統から生まれた形態を上回らなければ勝ったことにはなりません。逆に考えれば、中国人は自らの伝統の良さを絶対的に信じていて注文主の要望に耳を傾けようとしないため、わが国の仏壇に合わないものを造っているのかもしれません。

 こちらとしてはまってました!と言う所です。中国人はお墓は大事にしますが、日本のような仏壇を各家庭で拝す習慣がありません。中国人にとって柱に巻きつく竜は、中国寺院のミニチュアに過ぎず、寺院の柱の縮尺が正しいと思うのでしょう。
 しかし単純な縮尺は意味をなしません。仏壇には仏壇の風格と、何よりも和室をベースとした日本家屋のインテリア空間にマッチした上品さが求められます。それは私たちの毎日の生活の一部を構成します。

 臨床仏教研究所が40歳〜69歳の男女に行った調査では、71%が「死に向き合った時宗教が心の支えになる」と感じる一方、75%がお坊さんは心の支えにならないと答えています。この調査結果は、私たちが日々製作している仏壇が、いかに大きな役割をはたしているかを示しているように思えてなりません。
 横山社長が今まで納めてきた中国製の木彫りは、見せて頂くまでもありません。
「それより良い物」を造っているようでは問題外で、ここは「私自身の五十年間」を信じて没頭するほかはない、と思いました。

 
「解った!」は信頼

 横山社長がご来店になったのは八月、「造り付けの仏壇、年内に外側だけ仕上げて内部は平成二十二年二月、値段はそれで構わないから良く彫ってくれ、今これだけの予算を出してくれる仕事はなかなかないよ」とのこと。「勿論です」と答え、日限に追われたら良い仕事は出来ない、とホッとしていました。

 二ヶ月後の十月までに外側の欄間、障子の腰板と引きだし前板を仕上げることになっていてお電話があり、「施主が体調を乱して入院しちゃった。一日も早く見たいって、こっちも慌てている。内部一式、なんとか一カ月以内にやってもらえないだろうか?年内に納めないと。升組に入ったとこだけど丸柱が無いと組めないから」
 「アーッ!」しかし、出来るも出来ないもありません。


「それでは一寸丸柱のケヤキ材は二寸角に木取って、ホゾもつけておいてください。後からだと大変ですから」と申しますと…
 「エーッ、そんなに厚いの?」
 「はい、中国製のものに負けたくありませんから。周囲の彫り厚、五分ずつはないと…」
 「解った!」

 これほど物解りの良い方は滅多におりません。御来店時にお持ちになった二寸角、長さ一尺五寸のずっしり重い日本のケヤキ材、その柱上部に渡す欄間の厚みは、わずか五分です。木取りだけ見ればペラペラに薄い欄間が仏壇内部中央に君臨する、上り竜・下り竜はその左右下部に配されるわけですから「これでどうやってバランスを取るつもり?」と、誰だって思うでしょう。
 しかしここが心配になって欄間の木取りを厚くしてはなりません。ほかの柱は一寸の丸柱のまま。斗組、唐破風屋根とのバランスが一気に崩れてしまうからです。

 「大丈夫なの?」というお顔をなさっている横山社長に私は申しました。
 「彫刻は駄肉を取らないと高級感が出ません。中国製はおそらく駄肉で立派さを出しているのではないかと思いますが、毎日見ていると違和感から手を合わせる気が無くなってしまいます。二寸は一番高い所だけです。むしろホゾは一寸角ではなく、一寸直径に内接する円の内側、五分角ぐらいが理想ですが、まあ何とかしてみます」

「とにかく忙しくて悪いけど、一日も早く」
「はい、一カ月以内でなるべく早く」

     

 
 矛盾が大きいからこそ面白い

 忙しい時ほど良く寝ないと続きません。まして丸柱のケヤキは千葉県産なのでしょう。しっかりしまっていて完成後には黒光りがしますが堅い、荒叩きの順序を間違えると転がって叩きが出来ず手彫りになりますから、肩をやられてしまいます。
 それ以前の問題として実はこれが一番重要ですが絵付け、まず二寸角の裏側に平面を残し正確な二寸丸に削り、これに図を書きます。描いたり消したり、この間に完成図が頭の中に出来ていないと、うっかり彫刻には入れません。この仕事は基本的には円筒形にレリーフを掘り出すものですが、彫り厚が深いため完成したものは丸彫りの効果を上げます。

 透し浮き彫り(レリーフ)と丸彫りは本質的に全く異なる発想、デザインから生まれますがここではその両方の効果が矛盾なく見えなければなりません。初めから大矛盾、それをどう折り合いをつけるか?これがこの仕事の一番難しい所、つまり一番面白い所です。
 中世フランス・ロマネスク教会の彫刻ではその大矛盾を大矛盾のまま仕上げてしまい、どうにもならなくなって「神は細部に宿る」と言ってごまかしています。「神」の名を出してしまえば、どんな不自然、どんな失敗、ヘタクソでも「信仰心の表れ」で通ってしまいます。文字も読めなかった当時の素朴な農家の人ならそれもいいでしょうが、竜の木彫を見慣れ、造形的な優劣を鋭く見抜く現代の日本人には通用しません。日本人は元々リアリストで不自然に見えれば「ヘタクソ、高い!」と感じます。

 図を付け終わり彫り始めたら変更はききません。変更は更なる決定的な矛盾、彫っている当人の内部に矛盾を持ちこむことになり、途端に収拾がつかなくなってしまいます。
 九十四日間、左右のバランスと各一本のバランスを考え続け修正を繰り返して、「よし!」としました。後は集中力しかありません。如何に完璧を期しても完成後に反省点は必ず出ます。新たな問題が生まれるからです。生まれるからこそ、たえまない改良、向上が可能、これが人間の生きている証でもあります。

 とにかく一カ月後、横山社長の「なるほど」というお顔を見て「ヤッタ」と思いました。
鳳凰と竜のバランスも完璧と思います。

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